移り変わるパソコンとネットの世界。
☆米・アップル(Apple)社の前CEO、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなったショックは世界中をかけめぐっているようです。
アップルといえば、今では、iPodやiPhone、iPadが一番に連想されますが、私のようなおじさん世代だと、”パーソナル”なコンピュータの元祖のAppleⅠやⅡ、マウスを使うGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を実現したMacintoshが登場した時のことを思い出します。
アップル社をジョブス氏と共同設立したスティーブ・ウォズニアック氏とともに創った「ガレージから生まれたコンピュータ」ということで、アメリカン・ドリームと言うか、コンピューターの大衆化革命と言うか、特にアメリカではビジカルクという表計算ソフトの元祖がビジネスマンに大受けしたこともあって、1970~80年代にかけて、当時はこれだけで伝説的。今と違ってカラフルだった”かじられたリンゴマーク”はその象徴でした。
それまではコンピューターといえば、大企業や研究所が使うIBM製の大型のもので、GUIもマウスもなし、キーボードから真っ黒画面にアルファベットと数字のコマンドを打ち込んで使うのが普通だったのです。
※Apple社の昔のロゴ(1976~96年)・AppleⅡ(1977年頃)・Macintosh 128K(1988年頃)(Wikipediaより)
このアップルの技術革新のお陰で、現在のようにパーソナルなコンピュータ(当時はマイクロ・チップとmyをかけてマイ・カーならぬマイ・コンともよく言った)が爆発的に普及したといっても過言ではないでしょう。
また、ビル・ゲイツ氏考案のDOSを使うマシンの方は長らくハード上で割り当てたアルファベット・数字・カタカナぐらいしか使えなかったのが、Macが早くからソフト上のフォントで多言語を扱えるようにしたので、今でもデザインや印刷の世界ではMacが多数派になっています。
もっとも、個人的にはMacは高くてとても手が出ませんでしたが(昔のMacは”パソコンのポルシェ”と言われていて、ユーザーというよりオーナーになるだけでも大変だった)。
※YouTube投稿動画から。
・Apple 1976-2010(主にジョブズ氏や会社の歴史)
・The Full History of Apple 1976-2011(アップル社の製品の歴史)
マイクロソフトのWindowsが登場してDOS機でもGUIが使えるようになったのも、Macの先進性があればこそで、市場のシェアは別にしても、大企業や専門家だけのものだったコンピューターを一般個人にまで解放し、今のiPadなどにも続く、ユーザー・フレンドリーの精神(それまでのパソコンは、パーソナル・ユースの製品では自動車に次ぐくらい勉強や学習が必要で、あまり”フレンドリー”じゃなかったです)で、パソコンや情報技術(IT)の普及・発展に果たしたジョブス氏の役割は計り知れないと思います。
※NHKクローズアップ現代「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」(NHKonlineCH)
Macの一番最初のCM(1984年)は、映画「ブレード・ランナー」や「ブラックレイン」、「グラディエイター」などを撮ったリドリー・スコット監督の制作で、全体主義社会の恐怖を描いたジョージ・オーウェル氏のSF小説「1984」をモチーフにし、最後のシーンで、独裁者が映し出された画面が女性の投げたハンマーによって破壊されるのですが、このCMがジョブズ氏の生き方を象徴しているのかもしれません。
※これもYoutubeより。”アップル社CM 『1984』 リドリースコット監督"
ご冥福をお祈りする次第です。
*ジョブズ氏死去:ITのカリスマ悼む 全世界に衝撃(47NEWS 2011.10/6)
それにしても、ジョブズ氏やゲイツ氏は(単に経営者と言うより)確かに素晴らしい「起業家・実業家」ですが、事業の本拠地がアメリカ以外だったら、これほどの世界的大企業家になれたかどうか。逆に二股ソケットの松下幸之助翁や、初の薄型電卓や100ポンド・パソコン(日本での販売価格は4~3万円。当時パソコンといえば、ん十万円が相場)を開発したイギリスのサー・シンクレアがアメリカを本拠地に活躍していたら、もっと凄い世界的大企業を作っていたかもしれない、などと思ったりします。
★それから、話変わって、ここのブログ、cocolog を運営しているニフティは今年で25周年だそうです。
その昔は、インターネットが登場する前で、”パソコン通信”の時代でしたが、私もその頃からの利用なので感慨深いです。
ニフティのサイトに25周年特設サイトがあって、パソコン通信「NIFTY-Serve(ニフティサーブ)」の画面が再現されています。興味のある方は、ぜひ。
パソコン通信も、真っ黒画面に文字が表示されるだけのものでしたが、当時はカーソルが点滅しながら画面を移動して、その後に続いて文字が表示されただけでも”ハイテク”を感じました。もっとも、ADSLもない時代に、通信は固定電話の回線を使っていたので、パソ通と電話の双方の利用に支障が出て、当時は困ったものです。
今やインターネットの時代ですが、核戦争に備えて作られたネット・システムが、実際の戦争のないまま、一般民間に開放されて誰でも使える時代になったのは有難い事です。
※これもYouTubeから。”懐かしのNIFTY-Serve (パソコン・ワープロ通信)25周年記念”(ニフティ・サーブの再現画面の様子です)
パソコンと全然関係ないですが、他に、私の地元の高松本社の地元スーパーの大手「マルナカ」が「イオン」に買収されたり、アメリカのウォール街で大きなデモがあったりと、ここ2、3日、いろいろ考えさせられるニュースが続く秋です。
※写真は、私が高校の頃、懸賞論文でもらった賞金やら貯めた小遣いやらをかき集めて、有り金はたいて初めて買ったパソコンNEC・PC-6001(パピコン…の本)。本体だけで7万円くらいでした。OSはBASIC。フルセットは望むべくもなく、ディスプレイはテレビ、データ保存はカセットテープを使ってました…(接続できたのがすごいでしょ?当時使ってたSONYのラジカセ:Studio 1980 Mark IIは、モノラルスピーカーだけど3バンド対応で短波も聞けたし、リモコン端子もあった)。でも、この価格で8色カラーが使えて、”音が出た”だけでも当時は驚きだったのです!
ちなみにパソコン通信を始めた時の使用機種はNECのノートパソコンPC-9801NS-Eでした。ディスプレイの液晶はモノクロ(カラー液晶は最初のうちものすごく高く、多分本体よりカラー液晶のディスプレイの方が価格の大部分を占めていた)。OSはMS-DOS。Windowsが出る前で、当時はHDD管理ソフトをインストールして、簡易GUIでアプリケーションを表示画面にいちいち登録して使うのが一般的でした。※
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