多様な「本のカタチ」の歴史…「世界を変えた100の本の歴史図鑑」
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
さて、一般の新聞においては、だいたい週1回以上、書評・新刊紹介の面がありますが、その「新聞」も、東京・大阪周辺以外の地域では、いわゆる全国紙や・中央紙ではなく、地元の地方紙やブロック紙の方がよく読まれています。その地元紙(やスポーツ紙など)に全国や海外ニュース、文化ニュース、そして、書評記事などを配信しているのが、加盟社で作る共同通信。同社が過去16年(1998~2014)にわたって配信した書評5000本を、なんと全て一冊にまとめた本が発行されました。
*「書評大全」について - 三省堂辞書サイト
*『書評大全』共同通信文化部編 5000のガチンコ勝負(47NEWS/共同通信 新刊レビュー 2015.4/20)
いったい誰が読みこなすことができるのか、という気もしますが、出版活動というのは、世相を知的な分野で表す鑑ですから、今後、20世紀末から21世紀初頭の日本について研究する人にとっては、きっと重要なメルクマールというかインデックスというか、重要な手がかりになるのではないかと思います。この偉業に敬服です。
・関連記事 : 新聞の書評欄とテレビの書評番組(2010.11/28)
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
先日、「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」(渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム 2015.3/21~6/28)を見に行ったのですが、そこで、数々の宗教画とともに、当時のフィレンツェでも活躍(?)していた「高利貸」(マリヌス・ファン・レイメルスヴァーレに基づく模写)の絵があって、宗教画との対比で妙に印象に残っていました。
それで、最近、そのレイメルスヴァーレ(オランダの画家)の別の絵(「収税人たち」)が表紙で、その高利貸しや徴税・金融・財務などなどの経済活動の土台となる「帳簿(簿記・決算書)」が歴史(各国の栄枯盛衰)で果たしてきた役割を解説した本が出ていました。
(ジェイコブ・ソール著・村井章子訳
定価:本体1,950円+税)
私自身が帳簿関係は苦手だし、本書は主に欧米の事例についての解説(巻末に、編集部が「日本版特別付録 帳簿の日本史」を追加してくれています)なのですが、いくらトップが勇ましい美辞麗句を並べても、国や企業はじめ、組織や共同体の運営は、収支を無視しては続かないし、何より、この本は歴史の読み物としても面白そうなので、ご紹介です。
経済関係の新聞・出版社ではなく、文藝春秋の発行というのもユニークな感じです。
以下目次です。
■序 章 ルイ一六世はなぜ断頭台へ送られたのか
■第1章 帳簿はいかにして生まれたのか
■第2章 イタリア商人の「富と罰」
■第3章 新プラトン主義に敗れたメディチ家
■第4章 「太陽の沈まぬ国」が沈むとき
■第5章 オランダ黄金時代を作った複式簿記
■第6章 ブルボン朝最盛期を築いた冷酷な会計顧問
■第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作
■第8章 名門ウェッジウッドを生んだ帳簿分析
■第9章 フランス絶対王政を丸裸にした財務長官
■第10章 会計の力を駆使したアメリカ建国の父たち
■第11章 鉄道が生んだ公認会計士
■第12章 『クリスマス・キャロル』に描かれた会計の二面性
■第13章 大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか
■終 章 経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている
■日本版特別付録 帳簿の日本史(編集部)
※さすがに、詳しい書評が「東洋経済オンライン」にありました。
→ *権力とは、財布を握っていることである 東京税理士会会長が読み解く「帳簿の世界史」(2015.4/8)
※こちらは、YouTubeにあった、「ボッティチェリとルネサンス展」の作品解説。
*[JP/IT]「ボッティチェリとルネサンス -フィレンツェの富と美」展解説 [前編]
※Bunkamuraザ・ミュージアム 『ボッティチェリとルネサンス』展 ビジュアルツアー
ルネサンス以降でも、近代以前の欧州では(日本でもですが)、「金貸し」や「金融業」は社会的に嫌われた職業だったようです。「ヴェニスの商人」の話の背景にはこういう事情があったのでしょう。いろいろと。
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
何年勉強しても一向に(私は)上達しない英語。勉強不足の件は脇に置いといて、やはり、日頃から漠然と感じる「日本語と英語の本質的な(世界観・思考様式)の違い」。それを、明快に解説してくれる本を(たまたま)見つけたので、ご紹介です。
日本人のための英語学習法 (講談社学術文庫):720円+税
中身の主な点を挙げてみると・・・
・すべての現象を日本語は「コト(事)」、英語は「モノ(物)」と捉える。
・故に、英語は簡単に名詞が動詞化したり、動詞が名詞化する。
・日本語の動詞は、初めから「誰か・何か」が行うものと決まっていて、だからこそ主語の省略も可能だが、英語の動詞は、あくまで、それ単体で存在。従って、主語や目的語をつけて、正しい語順で並べないと文としては成立しない。
・前置詞の使い分けイメージ。
・英語では、まず「私・I」があり、この主体が周囲の世界を認識していくのに対し、日本語では、あくまで相手・周囲との関係性の中で自分を捉えるので、一人称も二人称も状況によって変化し、自己主張も強くなりにくい、などなど。
I have no money. とか、「ないカネを持っている」って、なんじゃらほいと、以前はよく思いましたが、この本の解説を読んで、少し分かったような気がしました。
(「おカネがない」は日本語では「コト(状態)」、英語の「no money」は「モノ(存在?)」と考える)
また、英語(インド・ヨーロパ語)と日本語(なお、東アジアの言語はご近所でも違いが大きいですね)の「自分」の捉え方の違いは、文化や思考様式の違いに関係する話で興味深かったです。
書名は「英語学習法」ですが、内容は「比較言語(文法)学」みたいな感じで、分量も180頁あまりの文庫なので気軽に読めます。
英語の思考方法にもやもやと疑問を感じる方には面白いのではないかと思います。ご参考まで。
*以下にも参加しています。
…もっとも、「だから欧米人は個人主義」で「日本人は和を重んずる集団主義」ということまで話が行ってしまうと、一面的な見方に過ぎるとも思います(中国は民主的ではないけど、中国人は超個人主義。ドイツ人やロシア人は個人主義的ではなさそうですが、すごく思索的あるいは議論好き。それに、英語の本場の英国社会って“個人主義”なんですかね?)。
日本語は使いこなせれば便利な言葉で、京都人の様に婉曲表現ばかりで話すこともできるし、大阪人のように直裁的に話すことも、格式張ったお役所言葉だけで文を構成することも可能。英語を語順通りに直訳しても、「てにをは」を工夫すれば、どうにか文に出来ます。言葉と文化の相互の影響は、重要ではありますが、それだけではないように思います。
また、「私」が強い文化では、たいがいは他の一般人を上回る強い自我を持った「カリスマ・リーダー」「ビッグ・ボス」「独裁者」「個人崇拝」もまた出現しやすく、こうなると、「個人主義」もすぐ消えて、「忠誠/loyalty」ばかり求められる社会になる。英語で「上司」はもろに「BOSS」ですし。
(以前はやった「日本人論」では、西洋などがリーダーシップの強い「騎馬民族型」で、日本は調和型の「農耕民族型」といってましたね)
一方、実は特定の個人を崇拝するのは嫌い(組織のトップも個人名ではなく一般的肩書などで呼びたがる)で、相互の関係性を重視する日本社会では、「ワンマン」な独裁者はめったに出ないし、平等指向も強いが、内輪の「和」や「帰属意識」を重視するあまり、「同質主義」「同調圧力」が集団内で強まって、少数意見を押しつぶしたあげく「集団自殺」的行為に走りやすい。
どちらも一長一短があるわけで、この特質(長所・短所)を自覚した上で(イジメはどこででも起きるが、それにどう対処するかが問題)、短所が肥大化しないような持続的な社会の努力が必要だろうと思います。
実際、日本人は「建前では控えめ」ですが「本音はプライドも競争心も人一倍強い」のが実相。また、かつて山本七平氏がよく指摘されていましたが「日本人が最も信用しない人間は、神や仏を信じない人などではなく、“自分が信じられなくなった”と言う人物」。「オレを番号で呼ぶな」とか「それで君の意見はどうなんだ?」とかも日本人お気に入りのセリフ。「大衆」でくくられるのも、「金魚のフン」「腰巾着」的人物も、普通の日本人は嫌います。
これで日本人を、自我や個人の意志が弱い国民と断ずるのは、ちと早計ではないかと思います。これこそ「現代(近代か?)の神話/都市伝説」かも。
「サムライ」に「あなたは自己の意志が弱い」などと言ったら怒るでしょうしね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
先日、東京読売写真クラブ(YPC東京)の年次総会があったので行ってきました。会場は昨年出来たばかりの東京・大手町の読売新聞本社ビル32階のレセプションルームで、やや霞がかかった天気でしたが、東京の中心部が一望できる素晴らしい眺めでした。
上は、その時に撮った写真ですが、戦前から残っている建物は国会議事堂と法務省の旧本館赤れんが庁舎(空襲で焼けたので再建)くらいで、周囲に林立する高層ビルは全て戦後のビル(しかも大半は民間のもの)。皇居の一般参観などが行われる宮殿も戦後の建物です。
参考記事 :
・ 眺めがすごかった…読売新聞新東京本社ビル32Fレセプションルーム(2014.4/1)
・ かわりゆく東京、点描。(2013.3/24)
・ 迎賓館赤坂離宮の一般参観に行ってきました。(2013.8/25)
地上で道路から眺める分にはピンときませんが、戦前と戦後の建物の規模の圧倒的な違いは、高所からみると一目瞭然(美術的センスは戦前建築の方が趣がありますが)。
また、そもそも、戦前は皇居の周辺に、このような皇居の中が見える高さの建物は建てられなかったのだそうで、まさに隔世の感。
「戦前の悪い点をあげつらうのは自虐史観」と声高に主張する方々は、同時に「今の日本は全くダメになってしまった」と執拗に繰り返すので、「それは現代日本に対して自虐じゃないの?」とツッコミたくなりますが、ま、百聞は一見に如かず。今の日本こそ、わが国史上最強でしょう。経済力も技術力も社会インフラも社会の安定度(秩序)も、個人のマナーも、総合的「民度」も。
「精神力が違う」などというヒトもいますが、「精神力とはなにか?」(あるいは防衛や政治制度、経済政策に不備があるのではないか?等)について、各々が自らの信じるところに従って好きなだけ議論できるのも、現代日本の「自由」のおかげ。もちろん、特高警察やら隣組やらのおかげで密告社会だった上に「死は鴻毛よりも軽し」の戦前・戦中には、「言論の自由」などほとんどありませんでしたが。政府(官僚)やカルト団体が勝手に決めた「精神」を画一的に「注入」される社会はお断りです(昔の学校ではよく「精神注入棒」なる生徒をしばく棒があったのだ)。
私は「社会の欠点は欠点だと指摘できる」、また、人権(私有財産権も含まれるのだ)が尊重され、経済や文化、言論の活動が自由で活発、そして、世界中のほとんどの国が友好国である現代日本は、確実に昔よりも、また外国の悪口で「城内平和」を保とうとする某隣国などよりも、いい国だと思います。
ちなみに、新聞で読んだところでは、戦前の「軍機保護法」によって検挙されるケースで非常に多かったのが、写真愛好家が風景を撮影していて、たまたま軍の施設が写り込んでしまった場合だったようです。こんなわけなので検挙数に対して起訴率(有罪率ではない)ですら、わずか4%で、これでは官憲が軍の施設の場所を教えて回っているようなもの。「秘密保護制度」の運用自体がお粗末だったわけで、もし、現代でこんな世の中になったら、今回、総会に行った「写真クラブ」など活動の余地もないし、日本を代表する有力産業の一つである光学・映像機器のメーカーさんも困ってしまうでしょうね。 (-_-;)
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント