最近、世の中は憲法改正とか、天皇陛下の生前退位のためには皇室典範の改正が必要とか、その他、民法や刑法の大改正とか、しょっちゅう改正される商法とか、いろいろと法律に関するニュースが多いです。
しかし、なにしろ日本の法律は、難しく書かれているのに、数多い法律入門書は、基本的な用語解説自体をしてくれていない(初めから大学等で法律を勉強するような人を対象にしている)のが多くて、不親切な感じがするのが多いのですが、この本は、その「基本のき」のイロハから解説してくれていると評判の本(の改定最新版)です。リーガル・マインドとは何かから始まって、裁判の仕組みや裁判員制度についても解説されています。
憲法にしろ、その他の法律にしろ、興味がある方にはおすすめです。
---「元法制局キャリアが教える 法律を読む技術・学ぶ技術」 [改訂第3版] 吉田 利宏 著 ¥1,944(税込み)---
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ちなみに、「日本国憲法」が「翻訳調で日本語として気に入らない」とか、のたまっているセンセイ方を散見しますが、明治以来の日本の近代法体系は、言うまでもありませんが、民法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法などなど、ほとんどすべて欧米の法律を難しい漢語を使って翻訳したものからスタートして、平成の現代まで至っています。
(だから分かりにくいし、明治に遡るほど民情とのズレが大きかったのです。弁護士の言うことも戦前〜戦後しばらくは一般人の感覚と大きくずれていたから「三百代言」とののしられる始末。日本国憲法は戦後生まれだし、帝国議会で激論によって審理されたものですから読みやすい方です)
で、日本の場合(英国のがコモン・ローで慣習法的で参考にしにくかったので)、仏独式(体系的)の大陸法系中心になりました。そこに、戦後は英米系列のものも多く入ってきただけであって、「敗戦によって日本の精神が失われた」なんてことは、全然ありません。三権の組織や税制、軍制と同じく、もともと欧州製です(中学校で習いませんでしたか?)。
古代ローマ帝国の法律支配が2000年を経て、ついに極東にまで及んだということです。
(古代ローマ帝国の3度の世界征服=1回めは武力によって、2回めはキリスト教によって、3回めは法律によって。故に3回めの法律支配でローマの世界征服が完成した、といわれています)
(もっとも、日本はキリスト教国ではないから、「西洋の精神」支配は受けてないことになりますが、なぜか、「日本のこころの復興」を叫ぶ「保守論客」の人にはクリスチャンが多いです(ついでに言えば“ええとこ”のお坊ちゃま・お嬢様ばかり)。キリスト教的・西洋的宗教学の価値観で神道などの日本文化を勝手に再解釈して、あるいは、明治時代に西欧文化を日本風にアレンジして作られたものを、日本の伝統だと主張している。価値観がキリスト教的に変化しているのを本人が気づいてないとしたら、それを「洗脳」または「感化」というのですが。明治以前の日本は神仏習合だし、日本の伝統そのものみたいな「神前結婚式」も、実はほぼ「戦後」、「教会式」挙式を日本の神社でもやろうということで広まったもの。クリスチャンでなくても実際に教会で挙式するカップルもいますが、要するに、この「寛容」さこそ日本の標準でしょう。なお、欧米諸国の文化に、土着文化・プラス・キリスト教が深く根付いているのは当然ですが、日本の場合は神道的土着文化・プラス・仏教的価値観です。ことわざや落語や盆踊りなどの伝統芸能、その他習俗など、もはや意識すらしていない物が多い。廃仏毀釈まがいに、一神教的価値観で日本文化を好き勝手に再定義するのは百害あって一利なしだと思います)
そもそも、明治というのは「脱亜入欧」の時代で、その完成形が立憲体制である「明治憲法」です。「西洋とは違う東洋である日本の精神に回帰するための憲法改正」とか「明治憲法復活」とは、それ自体が論理矛盾です。
(ついでにいうと、「国家神道」も明治時代に「発明」されたものだから(それ以前は「民俗」的な「神社神道」のみ)、「日本の伝統」とは言い難い。最近は、氏子の減少で「収入」が減った神社界が、神社の運営を「税金」で面倒見てもらいたいという願望をお持ちのようですが、もしそうするなら、以後、宗教界は(他の宗教団体も含め)文化庁でなく、財務省の管轄ということにすべき。当然でしょう?「国有財産」なら。宮司の勝手も許されませんよ。もしかして「国の神官」となって「上級公務員」のような立場を夢見ている方もいるかもしれませんが、待っているのは「国有財産である宗教施設を管理する」小役人にいちいち指図を受ける薄給の「嘱託職員」の立場です。高級車は諦めてくださいね)
また、極端・乱暴にも「占領憲法だから現憲法無効」論を主張する方もいますが、昭和の時代ならともかく、平成の世でもこれを主張するということは、現憲法で即位された「今上天皇陛下の地位も無効だ」と主張しているのと同じです。
当然ながら、現憲法の「基本的人権の尊重」の精神に基づいて制定・運用されている各種法律による自分自身への法的保護もいらないと宣言していることになります。過去の「自虐史観」が嫌いなのはまだ理解できますが、政府の役人にフリーハンドを与えて、現在・未来の自分個人が虐げられるのはお好きなようで、変わってますね。
(ついでにいえば、日本人にとって「東京裁判」は「昭和天皇に戦争責任なし」を確認したことに意味があるので、その他の件は2次的なこと。問題は敗戦そのものにあるのであって、拙劣な戦争指導だった軍部官僚に同情する人が少ないのは仕方のない事です。GHQの見え透いた宣伝に洗脳されているわけではないでしょうね)
それ以前に、「法の支配」とか「立憲主義」とは、国民が個人の「基本的人権」(人間であるということそのもの)を守るために政府(権力側)に突きつけたものだというのが基本です。
東洋だの西洋だの、日本の「美しい」こころだの、全く関係ありません。「人身保護」が基本です。
なお、人権には「身体や言論・表現・信教の自由」だけでなく、「財産権」などもあります。政府が財政赤字だからといって、突然アナタの財産が没収されたら困るでしょう?「人権」というのは、ワガママな人を野放しにすることではないのです(苦労知らずのお坊ちゃんには「人権蹂躙」という状態が想像もできないのかもしれませんが)。
どちら様も、憲法(国家基本法=すべての法律を作る際の基本法)を考える際は、この点を十分に考えてください。
まあ、自衛隊を軍隊でないというのは無理があるという方は多いし、国家の個別的自衛権を否定する人もいないし、憲法9条の規定にもかかわらず、自衛隊が違憲でないのは、同13条によって個人の幸福追求権を政府が保護する義務があるから、というのが通説です(故に、当然自衛官も個人として尊重される。現憲法の最重要規定こそ13条。9条はともかく、13条を削除して国防軍作っても、「兵隊は人権なき消耗品」。志願制だと誰も入隊しないでしょう。徴兵制?そうなったら、国民の最大関心事が「徴兵逃れ」になってしまう。国防力は下がるばかりです)。
いずれにしろ、自称「保守」論客とか、憲法など読んだこともないであろう旧地主さんやマイナー新興宗教団体(税金払ってますか?)が、土地バブル崩壊後に平成になってから作ったナントカ会議のメンバーに多い、「個人を否定」する者の「個人的意見」なんて、それ自体矛盾だし、滑稽。議論にもならないし、まともな人には誰にも相手にも支持もされないでしょう。
(全国に法学教授とか法学者は千人単位でいるんじゃないかと思いますが、ナントカ会議関係の自称「保守」の「法学部教授」さんて5人もいないんじゃないかな。学生がこの教授さんについて学んだ場合、およそあらゆる法律の関わる資格試験は諦めたほうがよいでしょう。そもそも「教授」になるって全然「資格」不要。雇った大学が教授だと辞令を出せばいいだけなのが実情ですから。また、法律について「一般の学者なんか関係ない」のなら、他の歴史、思想、政治、防衛、技術などなどのあらゆる分野でも「関係ねーだろ」がまかり通るようになって、社会は暗黒時代に突入ですな。まるでポル・ポト時代のカンボジアだ)
こういう人は、批判に対して神経質で、いつもプリプリ怒って「主張」ばっかりしてますが、「個人より公の秩序が最優先」だというなら、「無私」の精神で、身も心も「財産」も、国家・社会に差し出したらいかがでしょうか。間違いなく「お国のために」なります。どうです? ぜひ!
「国」という抽象的なものではなく、リアルに税務署と財務省がさぞ大喜びするでしょう。
*以下にも参加しています。

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