関東大震災100周年。9月1日は防災の日です。
今年(2023年)は1923年の関東大震災の発生から100年の年で、この地震が発生した大正12年9月1日を忘れないため(と、台風の来襲が多いとされる二百十日にあたる)9月1日が防災の日となっています。100周年の関連行事もいろいろ行われています(下の写真は東京・新橋の汐留シオサイトの地下通路で開催された「関東大震災100年報道写真展」)。
※関東大震災の報道写真展 新聞通信調査会(KYODO NEWS)
関東大震災は近代日本の首都圏周辺全域を壊滅させただけでなく、震災にまぎれて虐殺事件がいくつも発生した上(朝鮮人などだけでなく、今年映画にもなった福田村事件など日本人も多数犠牲になっている)、その実行犯のデタラメで残虐な行動が、たとえ一時の群集心理によるものだとしても、事件後においては「愛国的行動からでた憂国の士の行動」として、結局は不問になっていたという戦前社会の異常心理をあぶりだした点でも注目に値します。また、民衆の起こした事件はデマや流言飛語による群集心理によるものだったとしても、官憲の起こした政治活動家の虐殺事件はそうは言えません。
このような社会の異常心理がそのまま継続した結果、震災復興やその後の大不況打開のために「愛国無罪」的風潮がはびこり(後の共産化した大陸中国で紅衛兵が暴走しまくった文革時代の「革命無罪・造反有理」となんら変わらない)、昭和の軍部の暴走、同調圧力が最大化した日本型ファシズムの跋扈と戦争の時代・敗戦へと突き進んでいきます。
平成以降の日本では、自然災害による大被害が発生しても、市民がパニックになることもなく、また、いずれも独立した祖国のある在日外国人への迫害などもほぼ聞かないし、被災者救援やボランティア活動も次第に充実してきてはいますが、「被災者は体育館で雑魚寝、食料は乾パン、プライバシーなどは贅沢。それで我慢しろ」的な明治以来の常識がいまだ根強く、先進国はもちろん、その他の諸外国に比べても、被災者支援政策は、実のところ立ち遅れているようで、震災関連死もいまだなくなりません(超高齢化・無縁化社会ですから今後さらに増えることでしょう)。
日本では災害対策は一義的には自治体に責任があるのですが、たとえば日本同様地震の多いイタリアでは国の役所である市民保護局が一括して担当し、災害時の相互支援全国ネットワークも整備されているとのことで、大いに参考にすべきかと思います。他の国でも「公共施設の床に高齢者や病人もいる被災者を雑魚寝させる」などと言う国はほぼないでしょう。
日本では災害時の時間的救援分担である「自助・共助・公助」(震災時は行政も被災するから時間的には自助・共助が最初に出てくるだけです)をなぜか福祉問題にまで持ち出して、また防災・防犯について我が身を守るという予防的行動を、自己責任論と誤解したりすり替えたりする政治家や論者がときどきいて、あげく生保や損保のような「互助システム」にまで「金融商品だから自己責任で」などという非常識なことをいいだす団体があったりして非常にどうかと思いますが、防災も福祉も社会全体、国全体で行うことです。
防災対策は、自己責任論だけでも、行政にお任せだけもうまくはいきません。日本国在住者全員の相互協力、互助が必要なのであります。
*以下にも参加しています。
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