多様な「本のカタチ」の歴史…「世界を変えた100の本の歴史図鑑」
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
さて、一般の新聞においては、だいたい週1回以上、書評・新刊紹介の面がありますが、その「新聞」も、東京・大阪周辺以外の地域では、いわゆる全国紙や・中央紙ではなく、地元の地方紙やブロック紙の方がよく読まれています。その地元紙(やスポーツ紙など)に全国や海外ニュース、文化ニュース、そして、書評記事などを配信しているのが、加盟社で作る共同通信。同社が過去16年(1998~2014)にわたって配信した書評5000本を、なんと全て一冊にまとめた本が発行されました。
*「書評大全」について - 三省堂辞書サイト
*『書評大全』共同通信文化部編 5000のガチンコ勝負(47NEWS/共同通信 新刊レビュー 2015.4/20)
いったい誰が読みこなすことができるのか、という気もしますが、出版活動というのは、世相を知的な分野で表す鑑ですから、今後、20世紀末から21世紀初頭の日本について研究する人にとっては、きっと重要なメルクマールというかインデックスというか、重要な手がかりになるのではないかと思います。この偉業に敬服です。
・関連記事 : 新聞の書評欄とテレビの書評番組(2010.11/28)
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
先日、「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」(渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム 2015.3/21~6/28)を見に行ったのですが、そこで、数々の宗教画とともに、当時のフィレンツェでも活躍(?)していた「高利貸」(マリヌス・ファン・レイメルスヴァーレに基づく模写)の絵があって、宗教画との対比で妙に印象に残っていました。
それで、最近、そのレイメルスヴァーレ(オランダの画家)の別の絵(「収税人たち」)が表紙で、その高利貸しや徴税・金融・財務などなどの経済活動の土台となる「帳簿(簿記・決算書)」が歴史(各国の栄枯盛衰)で果たしてきた役割を解説した本が出ていました。
(ジェイコブ・ソール著・村井章子訳
定価:本体1,950円+税)
私自身が帳簿関係は苦手だし、本書は主に欧米の事例についての解説(巻末に、編集部が「日本版特別付録 帳簿の日本史」を追加してくれています)なのですが、いくらトップが勇ましい美辞麗句を並べても、国や企業はじめ、組織や共同体の運営は、収支を無視しては続かないし、何より、この本は歴史の読み物としても面白そうなので、ご紹介です。
経済関係の新聞・出版社ではなく、文藝春秋の発行というのもユニークな感じです。
以下目次です。
■序 章 ルイ一六世はなぜ断頭台へ送られたのか
■第1章 帳簿はいかにして生まれたのか
■第2章 イタリア商人の「富と罰」
■第3章 新プラトン主義に敗れたメディチ家
■第4章 「太陽の沈まぬ国」が沈むとき
■第5章 オランダ黄金時代を作った複式簿記
■第6章 ブルボン朝最盛期を築いた冷酷な会計顧問
■第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作
■第8章 名門ウェッジウッドを生んだ帳簿分析
■第9章 フランス絶対王政を丸裸にした財務長官
■第10章 会計の力を駆使したアメリカ建国の父たち
■第11章 鉄道が生んだ公認会計士
■第12章 『クリスマス・キャロル』に描かれた会計の二面性
■第13章 大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか
■終 章 経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている
■日本版特別付録 帳簿の日本史(編集部)
※さすがに、詳しい書評が「東洋経済オンライン」にありました。
→ *権力とは、財布を握っていることである 東京税理士会会長が読み解く「帳簿の世界史」(2015.4/8)
※こちらは、YouTubeにあった、「ボッティチェリとルネサンス展」の作品解説。
*[JP/IT]「ボッティチェリとルネサンス -フィレンツェの富と美」展解説 [前編]
※Bunkamuraザ・ミュージアム 『ボッティチェリとルネサンス』展 ビジュアルツアー
ルネサンス以降でも、近代以前の欧州では(日本でもですが)、「金貸し」や「金融業」は社会的に嫌われた職業だったようです。「ヴェニスの商人」の話の背景にはこういう事情があったのでしょう。いろいろと。
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
何年勉強しても一向に(私は)上達しない英語。勉強不足の件は脇に置いといて、やはり、日頃から漠然と感じる「日本語と英語の本質的な(世界観・思考様式)の違い」。それを、明快に解説してくれる本を(たまたま)見つけたので、ご紹介です。
日本人のための英語学習法 (講談社学術文庫):720円+税
中身の主な点を挙げてみると・・・
・すべての現象を日本語は「コト(事)」、英語は「モノ(物)」と捉える。
・故に、英語は簡単に名詞が動詞化したり、動詞が名詞化する。
・日本語の動詞は、初めから「誰か・何か」が行うものと決まっていて、だからこそ主語の省略も可能だが、英語の動詞は、あくまで、それ単体で存在。従って、主語や目的語をつけて、正しい語順で並べないと文としては成立しない。
・前置詞の使い分けイメージ。
・英語では、まず「私・I」があり、この主体が周囲の世界を認識していくのに対し、日本語では、あくまで相手・周囲との関係性の中で自分を捉えるので、一人称も二人称も状況によって変化し、自己主張も強くなりにくい、などなど。
I have no money. とか、「ないカネを持っている」って、なんじゃらほいと、以前はよく思いましたが、この本の解説を読んで、少し分かったような気がしました。
(「おカネがない」は日本語では「コト(状態)」、英語の「no money」は「モノ(存在?)」と考える)
また、英語(インド・ヨーロパ語)と日本語(なお、東アジアの言語はご近所でも違いが大きいですね)の「自分」の捉え方の違いは、文化や思考様式の違いに関係する話で興味深かったです。
書名は「英語学習法」ですが、内容は「比較言語(文法)学」みたいな感じで、分量も180頁あまりの文庫なので気軽に読めます。
英語の思考方法にもやもやと疑問を感じる方には面白いのではないかと思います。ご参考まで。
*以下にも参加しています。
…もっとも、「だから欧米人は個人主義」で「日本人は和を重んずる集団主義」ということまで話が行ってしまうと、一面的な見方に過ぎるとも思います(中国は民主的ではないけど、中国人は超個人主義。ドイツ人やロシア人は個人主義的ではなさそうですが、すごく思索的あるいは議論好き。それに、英語の本場の英国社会って“個人主義”なんですかね?)。
日本語は使いこなせれば便利な言葉で、京都人の様に婉曲表現ばかりで話すこともできるし、大阪人のように直裁的に話すことも、格式張ったお役所言葉だけで文を構成することも可能。英語を語順通りに直訳しても、「てにをは」を工夫すれば、どうにか文に出来ます。言葉と文化の相互の影響は、重要ではありますが、それだけではないように思います。
また、「私」が強い文化では、たいがいは他の一般人を上回る強い自我を持った「カリスマ・リーダー」「ビッグ・ボス」「独裁者」「個人崇拝」もまた出現しやすく、こうなると、「個人主義」もすぐ消えて、「忠誠/loyalty」ばかり求められる社会になる。英語で「上司」はもろに「BOSS」ですし。
(以前はやった「日本人論」では、西洋などがリーダーシップの強い「騎馬民族型」で、日本は調和型の「農耕民族型」といってましたね)
一方、実は特定の個人を崇拝するのは嫌い(組織のトップも個人名ではなく一般的肩書などで呼びたがる)で、相互の関係性を重視する日本社会では、「ワンマン」な独裁者はめったに出ないし、平等指向も強いが、内輪の「和」や「帰属意識」を重視するあまり、「同質主義」「同調圧力」が集団内で強まって、少数意見を押しつぶしたあげく「集団自殺」的行為に走りやすい。
どちらも一長一短があるわけで、この特質(長所・短所)を自覚した上で(イジメはどこででも起きるが、それにどう対処するかが問題)、短所が肥大化しないような持続的な社会の努力が必要だろうと思います。
実際、日本人は「建前では控えめ」ですが「本音はプライドも競争心も人一倍強い」のが実相。また、かつて山本七平氏がよく指摘されていましたが「日本人が最も信用しない人間は、神や仏を信じない人などではなく、“自分が信じられなくなった”と言う人物」。「オレを番号で呼ぶな」とか「それで君の意見はどうなんだ?」とかも日本人お気に入りのセリフ。「大衆」でくくられるのも、「金魚のフン」「腰巾着」的人物も、普通の日本人は嫌います。
これで日本人を、自我や個人の意志が弱い国民と断ずるのは、ちと早計ではないかと思います。これこそ「現代(近代か?)の神話/都市伝説」かも。
「サムライ」に「あなたは自己の意志が弱い」などと言ったら怒るでしょうしね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
これはgood。自衛隊の現場で実践されている情報・思考の整理、情報の記憶・伝達方法のノウハウがコンパクトにまとめられています。
「自衛隊に学ぶメモ術」 (マイナビ新書) 918円(850円+税)
スマホもいいけど、人間の方はコミック・アニメ「攻殻機動隊」の世界のように電脳化されているわけではありません。アナログ・メモの効用は生身の人間では今でも大きいと思います。メモは日本語で“書き留め(書き付け)”。簡単で一目瞭然。メモ書きは“動かない(変わらない)”という利点もあります。
特に、自分の足と頭を使う、外回りのビジネス・パーソンやいろいろと「取材」する必要のある方、また、フィールド・ワーク(屋外での仕事)をチームで行う方々等には参考になるのではないかと思い、ご紹介です(私などは反省することしきりの内容でした…)。
以下、目次です。
第1章 情報伝達術! いつ、どんな状況でも的確にメモを取る力
*その他、ご参考の本です。
*以下にも参加しています。
・・・もっとも、軍隊や自衛隊の話が絡んだ途端、ヒステリーを起こしたり(ちょっと前迄のサヨクの人)、“政治文学的感傷(軍国趣味とか)”に浸りたいような方(架空戦記に浸る最近のなんちゃってウヨクなどの人)などには、はじめからオススメしません。
軍国主義ならぬ「軍国趣味」の人の政治談義など、現代日本には将来にわたってお呼びでありません。むしろ「プロ」として「軍事」を考えるなら、経済や外交、地理的状況、内政などとのバランスの重要性が理解できているはず。
安全保障に関して、友邦なし・金もなし・情報なし、技術もなし、あれもこれもなしで、精神主義で国内治安ばかり締め付けてもどうにもならんでしょうが。大日本帝国のように。安直な懐古趣味や無能政府の強権主義など問題外です。
軍国「趣味」ならば、他人を巻き込まないで「個人だけ」でお楽しみ頂きたいものです。個人主義は嫌いかもしれませんがね(自称「愛国」ヒョーロンカが「軍議を開く」とか、ばかじゃないの?こういうのを「中2病のごっこ遊び」っていうんだよ)。
「美しい」とか「純粋」とかなんとか、「私的な」主観に基づく形容詞や副詞ばかり並べて大上段に何をどう言い繕おうが、合理的思考の出来ない人はスキルが全く上達しないし、お得意の「愛国的」な理屈も精神論も地に足がついてないから支離滅裂で空回り(外国の悪口で人気取りをする某隣国の連中と同じですな)。
こういう、「組織の一員としての自覚」ではなく、「私の考え=公の行き方(組織を私物化したいだけ、あるいは、虎の威を借る狐みたいな人)」式思考の人は、うるさくて迷惑なだけで、会社にも社会にもお国のためにも、全然役に立たないので(全体主義国の軍隊ですら作戦に一番邪魔なのが「政治将校」)。
本当に、いいもんですよね。日本が「何を言っても自由な、個人を尊重する国」なのは。わが国で出版活動がこれだけ盛んで、あらゆる種類の「モノカキ」が生計を立てられるのも「自由」のおかげ。
全体主義の国だったら、内容の如何を問わず「お上のやることに口出しした」だけでブタ箱行き。自称「国士」など、本職の役人組織から見ればただの「目障りなバカ」に過ぎません。
例えば、「国家と秩序と歴史と道徳」大好きのセンセイが(個人的なお手紙などを除き)、公にする文書に、昭和初期限定方式(日本語表記は時代により変化が激しいのが特徴)の旧字体・旧仮名使いで文章を書くというのは、「お役所」から見ると「政府方針に反して現代国語秩序を乱している」行為そのものに見えています。「俺様が国家なり」という意識だから全く自覚していないでしょうがね。それがアナタの「立場」です。ワガママなのはオタクなんです。
歴史的仮名遣いをやめて、かなを発音どおりの表記にしようという運動は、敗戦後の国語改革だけでなく、既に戦前からありましたしね。だから、今でも殆どの国民にすんなり受容されてるわけでして。実用的だし。そんなに「歴史的表記」にこだわるなら、明治の言文一致運動からさらに遡って、いわゆる「古文」で文章をかけばよろしいでしょう。でも、そこまでは嫌だし出来もしないんでしょ?本当に社会に対して不平ばかりい多くてわがままですねえ。センセイは。
よかったですね、センセイ。「国語審議会」に「取り締まり権限」がなくて。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
根性も体力から。
SAS・特殊部隊式 図解メンタルトレーニング・マニュアル(1900円+税)
最近、軍事関係の話が多くて恐縮です。
さて、いわゆるミリ本(ミリタリー・軍事関連本)は、一般人が読んでも実用には直結しない、ニュースや映画を見るときとか、アウトドアスポーツやサバイバルゲームでもするときとか、防災関連で調べるとか、こういった場合の「参考情報」以上のものにはなかなかならないのがほとんどですが、この本は多少、一般人のトレーニングにも応用できるかもしれません。
著者はSAS(英国特殊空挺部隊)の本ではお馴染みのクリス・マクナブ氏。要するに特殊部隊の養成訓練マニュアルを一般向けに紹介しているのですが、第1章で「兵士」の心がまえ的なことを紹介した後、すぐ次の第2章では「栄養と休息」が来て、「精神力の維持も体力・健康から」ということが科学的に説明されます(「脂肪の消化には大量の水分が必要」とわざわざ1頁をとって解説)。この点、「スポーツ科学」の本のようでもあります。
以下、表題どおり、主にメンタル面について(戦闘技術の話はほとんどありません)、リーダーシップやチームワーク、課題解決、困難に耐えること、兵士の倫理観(倫理観に欠ける兵士は規律にも欠け、残虐行為を起こしやすく、作戦全体に悪影響を及ぼすということに注意喚起されています)、ストレス管理などについて述べられており、いわゆる「根性論」「精神主義」とは無縁です(もちろん生身の人間集団たる実際の軍隊ではこう理想どおりにはいかないでしょうが)。
といっても、それだけなら、普通のスポーツ科学の本を読めばいいわけですが、現代では、一般人も事故やテロや災害に遭遇して、凄惨な状況に巻き込まれることもあるので、そういう場合を想定するなら、この本にでてくる「トラウマとショック」(第7章)などは参考になるかもしれません(なお、応急手当の紹介もあります)。
トラウマへの対処などは、精神医学か、消防士向けなどの専門書ならありますが、文字通り「専門書」で、難しい本が多いので、こちらの方が多少は読み易く、「スポーツ科学+非常事態対処」が一冊にまとまっていて、入手もしやすいかなと思い、ご紹介です。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
世界では軍隊も変わっています。頭数だけ揃えるのが最優先だった徴兵の時代は終わり、軍隊はいまやプロの技術者集団。いつまでも、敗戦までの旧日本軍方式に固執する人の居場所は少なくとも先進国にはもうないでしょう(北朝鮮や大陸中国ならどうか知らんけど)。特に、PKO活動などに際し、旧軍式傲慢根性論を持ちだしたら、現地の状況や現場の隊員の任務遂行を悪化させるだけ(この点、自衛隊は非常に慎重にやっているようです)。日本国民も、もう一度「敗戦」するのはお断りですし。
こうして考えてみると、一見戦争に強そうな全体主義・軍国主義国家がなぜ(最初の奇襲攻撃は成功しても)、必ず最後には戦争で負けるか、または自己崩壊するか? 実は単純明快。
強権主義国家では、権力のある者は支離滅裂な思いつき命令を連発して、しかも無責任。また、下の者は上に従うだけ。国全体が硬直した「マニュアル社会」。誰もまともに自分の頭を使わない。意見をいう者はぶち込まれる。一見団結しているように見えて、それは外的強制によるもの。「威張りたがりやの裸の王様」と「指示待ち人間の集団」の組み合わせでは、ハナから先が見えている。
それに比べ、民主主義の国では何をするにしても、知恵を絞って関係者と利害調整を図らなければならないし、ヘマをすれば非難の嵐。自由社会=競争社会の側面もある。要するに、国民個々人全ての分野・段階で「課題解決能力」に日々雲泥の差がついてしまっているわけです。結局、ソレが総合的国力となって現れる。普段はみんなバラバラでも、一旦、国民各自が自発的に団結すれば強く(むしろ熱狂があると怖い)、一方で、組織の運用に柔軟性もある。
チームの団結も個人が結束するから意味があるので、金太郎飴の集団では烏合の衆にすぎない。できそこないのロボットもどきの兵隊さんでは人海戦術以外はやりようが無いです。
また、全体主義の社会では、個人の意見は圧殺されて集団を優先するわけだが、各人が属する「集団」や「派閥」もまた、数知れず存在するのだから、集団同士が抗争を始めたら歯止めなし。アナクロさんの「願望」とは全く逆に、「全体主義・集団主義」の社会の方が、「たこつぼ集団」や「派閥」を多数出現させ、派閥抗争により、社会や国家は四分五裂となり、分裂する。例外などはない。最悪の場合は内戦となる。いわば、国の中に無数のミニ国家が出現して戦国時代化するわけだ。
(各集団が、勝手に「お国のため」と主張し合い、意見が違う者を非国民呼ばわりして抗争を始める。「全体主義」が「国家崩壊」に一直線なのは当然の成り行き。こんなの、冷戦中、日本が「自由主義陣営」の一員だったころは常識だったが、最近、負けた戦争の言い訳と不祥事ばかりの「愛国ビジネス」の連中が「昔は良かった」論を言い募ってウンザリ。だいたい集団主義の人間というのは、群れから切り離されて独りボッチになった時点で、精神的に根無し草となり、ほとんどはアウト。また、全体主義国家のトップは常に周囲が命令に従うから、戦争するときも、「敵」までが同じように自分に協力してくれるように思い込む。当然、作戦も、根本的な部分で、独りよがりで幼稚なものにならざるを得ない。見かけはコケ脅しで恐ろしいですけどね。それに、自分が集団主義だと、相手も同じだと考えがち。相手の「国」「軍隊」「集団」等々についても全部「一枚岩」だと考える。もちろん、実際には内部の各立場によって、多様な意見があるのに、それも見抜けない。しかも皮肉なことに全体主義の国の方こそ、各集団がタコツボ化して、かえって、てんでんばらばらに行動しがち。しかも建前では「一枚岩」となっている上に、「身内の恥は晒さない」&「自分らの既得権益や分け前はよそに渡さない」&「秘密の共有こそ内部の団結を高める」とばかりに秘密主義だから横の連携もない。全体主義の国が戦いに勝つなんてことがあれば、それこそ、むしろ例外。繰り返しになるが、「団結」は「自主自立」した人や団体がするから意味があるので、コピー集団を上や外から建前だけ縛っても、何の強さもありません。見掛け倒しです)
かくて、個人がバラバラですぐに社会が崩壊するはず(まあ、個人が自律・自立できない民度の低い社会では、そういうこともあるでしょうが)の自由社会は自己調整機能が働いて、何時までたっても崩壊しないが、あらゆる全体主義社会は、長くても3世代と持たずに自壊か日常的に混乱するのが普通。経済も回らないし、外部からの強制が緩んだとたんに手前勝手な民度の低いわがまま人間が勝手に暴走。テロやクーデターが頻発した戦前・戦中の日本もそれに近い。逆に、自由な現代日本社会は全く安定しています。そういえば、お隣の中国・台湾の場合も、大陸中国がず~~っと、動乱・暴動だらけで民度の向上も見られないのに、台湾社会は安定してます。
むしろ、「国策(国家プロジェクト)遂行」にとっても、個人が直接国に忠誠を尽くす状態のほうが、人材の登用がしやすい。これは別に米英とかの話ではなくて、志士が日本中から出現した日本の明治維新のころの社会の雰囲気もそうだったはず。
「個人の活躍」が嫌いなのは、大概は「役人集団(軍隊も役所です!)」。それも、日本の場合は、世界的に左右の全体主義が流行った20世紀初めごろに、この海外からの輸入思想にかぶれた連中が、民族主義と軍国主義もどきの化粧をして主張していただけ。全く日本の文化の伝統などとは関係がない。「全体主義」は「規格大量生産」「大不況」の一時期にだけ流行った思想でおまけに最後は全て破滅(自滅)しました。
(人間も「規格化」して「大量」に「兵隊」を揃えれば何でも勝てると単純に思ったのでしょう。思想にも流行があるのです。しかし、不易と流行という言葉があるように、一時の流行熱に浮かれるのは良くありません。それに、一般的に下っ端の兵隊レベルが優秀でまた、、トップの権限が肥大化するほど、反比例してトップは無能になっていくのが普通です)
ちなみに、第二次大戦中の日本では、「国家総動員」の掛け声とは裏腹に、陸海軍や各省庁はバラバラ以上に犬猿の仲。果ては陸軍が空母や潜水艦、海軍が戦車を造り、「帝国陸海軍相争い、その余力をもって米英と戦う」などと国民に馬鹿にされる始末。各軍部内の派閥抗争もひどかった。また、当時の軍の作戦や部隊運用は「お役所仕事」が最果てまで行き着いた硬直の極み。まさに末期の帝政ロシアや旧ソ連とソックリですが、これも「コミンテルンの陰謀」かな?「強権官僚」支配のたどり着く先はいつも同じというだけのこと。役人は権力の強さと能力が反比例する生き物です。
そして、国の滅亡を招いた強権官僚の言い訳はいつも同じで「私は法律通りにやっただけで責任ありません。私が決めたわけじゃありません(じゃ誰だよ?それに何で遅れて自殺をはかったの?「自決」にしてもかわった方法ですな。TJ陸軍大臣兼総理ドノ)」という。今の自衛隊では「自分の頭を使う」ことや「自主性」が強調されているそうですが、これも旧軍時代の反省からきたもの。例の元空自“参謀総長”が好きなだけ「自己主張」できるのも、「敗戦」で「個人の意見が尊重される社会」になったお陰ですな。戦前・戦中なら個人の「意見」どころか、「命は鴻毛(鳥の羽根)よりも軽し」「一億玉砕」ですよ。そもそも戦争自体も「富国」のためにやってるわけだから、全くもって、手段と目的が主客転倒した官僚的な本末転倒さだ。
戦争では、兵士が「精強」であることは必要条件ではあっても、戦勝のための十分条件とは言えない。戦争は競技会じゃない(敵の得意技や新兵器は常に“無効化”や封じ込めを図られる。スポーツや受験だったら“反則負け”、ビジネスなら営業妨害になってしまうが、戦争ならこれが常態=普通)ですから。
チームのメンバーがお互いに(各特技を)カバーしあえるとか、練度・レベルが同じくらい、というのは、チームの強さにつながりますが、「全員が同質(金太郎飴)」というのは「全員の弱点が同じ」ということです。ここを勘違いしてはいけません。
十人十色なら、各人の強みも弱みも十色。倒すのは大変です。しかし、十人一色なら?
同一種が多数いるから「サンプル」も多数で、特徴のパターンを読みやすく、弱点を一個見つけたら、一挙に相手を全滅させられる、あるいは、一つの原因で全滅が起こる。これは注意すべきことです。
集団主義者というのは、個人では決断の責任をとりたくない、という無責任主義者のことです。
※第2次大戦で、「米軍が分析した日本軍」のレポートと、以前から定評のある「~軍の小失敗の研究」の日本軍ケース。
そして、旧陸軍では「対米戦闘教育」が戦争も終盤の昭和18年にもなって始まったことなど“自転組織”帝国陸軍での著者の直接の体験記。
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
まだ読んでる途中ですが・・・。
経済を市場原理主義で放置しておくと、社会の格差がどんどん拡がっていくのを我々は目の当たりにしているわけですが、本書では、経済を過度に国家統制にすると、国自体が滅んでいく様子が、いろいろな思想家を紹介する中で説明されていて興味深いです。
経済思想の巨人たち (新潮文庫) 630円+税
取り上げられているのは・・・ヘシオドス、管子、プラトン、アリストテレス、ディオゲネス、エピクロス、ゼノン、司馬遷、トマス・アクィナス、トマス・モア、デフォー、マンデヴィル、石田梅岩、ケネー、安藤昌益、ヒューム、アダム・スミス、ベンサム、海保青陵、マルサス、リカード、J・S・ミル、マルクス、福沢諭吉、ゾンバルト、マックス・ウェーバー、シュンペーター、ケインズ、北一輝、石橋湛山、ハイエク、コース、フリードマン、ブキャナン、アロー、ベッカーなどで、いわゆる「経済学者」ばかりでなく、古代から現代まで、国内外の思想家と社会に与えた影響が幅広く紹介されていて、そこが「経済学」ではなく「経済思想」の巨人紹介というわけで、歴史の本を読んでいるようでもあり、読みやすいです。
司馬遷の項目で説明されている、中国の歴代王朝の専売制と治乱興亡の関係の説明などは非常に興味深いです。
(※なお、本書は1997年に新潮選書で刊行されたものの文庫版です)
ソ連が90年代初頭に崩壊した時は、一時、「資本主義が勝った」みたいに触れ回ってた人たちがいて、それが、市場原理主義者の跋扈につながっていったようですが、ソ連の失敗というのは「国家独占資本主義」の「官僚統制」(国民に政府批判を許さない自由のない社会。労働者の休暇は多かったようですが)による「産業計画経済」が国民=消費者のニーズに対応しきれなくなったからで、要するに「自滅」しただけのこと。他方の「西側」では戦後「混合経済」(市場経済と計画経済を適度にミックス)と「福祉国家」で、競争と規制、自由と安定をうまくバランスさせてきたから社会が自壊せずに済んでいるので、「勝ち負け」といえるのか、私は疑問です。
(今の日本は官僚統制と競争放置がまだら模様に混在して、よくわからん状態になりましたな)
また、英国本国が戦後、経済で不振になったのを「福祉政策が行き過ぎて労働者が怠け者になったから」(それをサッチャーが改革したとか)という論調をよく聞きましたが、福祉国家は他にも多いし、英連邦の他の国は順調に経済成長しているのを見ると、これは違うんじゃないかと。むしろ、「戦争に勝ってしまった」ので、アメリカのような大陸国家&大人口の大衆社会でもなく、日本やドイツのように抜本的社会改革もできず、土地貴族や大富豪みたいなのが小さな島国で未だに生き残っていて、富が偏在(=一部で富が抱えこまれている=本人はいいが、社会的には存在しないも同じこと=悪く言えばカネのブラックホール)し、経済の血液たる貨幣の循環が悪いままだからじゃないか(財閥経済だった戦前の日本や今の韓国がそう。それで、「政府は(税金とかなんかで)“富の再分配”をちゃんとやれ」という声が強まる)と思います。
(推理小説でも、殺人犯の動機が概ね、米国だと「自分の事業の邪魔者を消す」で、英国だと「遺産目当て」。この違いは大きい)
サンダーバードを一家で運用できるような大富豪がいくら贅沢したって、社会全体にでてくるカネはしれたもの。年収1億の人1人より、年収500万の人20人を相手に商売したほうが、元のパイが同じでも、経済は活性化・成長するだろう、ということです(現在、多少ほころびが出ていますが、一時は1億総中流と言われ、社会全体が「小金持ち(プチブル?)」になった戦後日本がそうです)。
といっても、英国の場合、いまさら革命になることはないでしょうが、独仏が幅を利かすEUを脱退して(ユーロも使ってないし)、英連邦(インドもある)にアメリカを引き込んでFTAやTPPをやり、「大英語圏経済帝国」を画策したら、英本国経済も大復活、と考えられなくもない。
EUにしろ、「英語圏帝国」にしろ、日本にはマネができない話(協調はできる)。我が国の将来を考えると頭が痛いです。自分の将来の方はもはや胃が痛くなるが・・・。
ちなみに、大陸中国は「共産党」という名称の党が一党独裁していますが、建前ですらもはや共産主義などどこにもなく(この点は旧ソ連の方がずっとまし。また、キューバなど、米国の経済制裁が継続する中、教育・医療は無料の社会を実現している)、権力と腐敗で歪んだ拝金市場経済(?)があるだけ。しかし、言論の自由も人権もろくになく、これを例によって「東洋の文化」だとか「共産党は旧日本軍を追い出したから偉い」とか、屁理屈を捏ねている。だったら「拝金主義」や「汚職」、「対外膨張主義」「歴史復讐主義」も「東洋の文化」なんですかね? むしろ、近代西洋帝国主義の悪癖に近い気がするが。秘密警察があるような強権国家の寿命はだいたい現役3世代(70年前後)くらいが相場。“3代目”ばかりの彼の国。再びの激動の時代は近そうです。
中国は官尊民卑思想の源流たる儒教や科挙の本場(未だに、これに憧れる一部日本人もいるようだ…イヤハヤ -_-; )。「国民全部が公務員」「官僚統治」の「共産党支配体制」は、中国社会の伝統に馴染んでいるのかもしれませんが、歴代王朝が塩などの生活必需品を専売制にして利益を独占→庶民は安いものを求めるので闇取引が横行→社会は混乱し、闇商人や地方軍閥が巨大化→内乱になって王朝が崩壊。この繰り返しが中国の歴史。
…ということが司馬遷の項目で説明されてます。短いけど、この指摘だけでも読む価値があるように思います。
他にも、福沢諭吉(現在1万円札の肖像だ)やケインズの項目なども示唆に富みます。
最近、「国家なくして国民なし」と、民主主義国家の政治家とは思えないお考えの政治家が失言と訂正を繰り返して「話題」になってますが、抽象的な「国家」が実在の人間集団たる国民より先にあるわけ無いでしょう(単語をいろいろ入れ替えると面白いですよね。「党なくして党員なし」とか。党員が誰もいなくなっても、この方の「党」は残るのかしら?それとも「離党者には制裁」でも加えるのか?まるで独裁国家の「党」、でなければ暴力団かカルト宗教のやり方。さすがは“オタク政治屋”)。政治家が自分への投票者よりも先に存在して、選挙民よりも偉いつもりなんですかね? それとも、「国家株式会社」が「国民(税金を払っている方)」を雇っているつもりなのか?何もかも主客が転倒してますな。この方、在籍政党からして間違ってるのでは。まして、国の経済運営を任せるのは絶対無理。慶応大学の学祖・福沢諭吉先生のダメ出し確実です。
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
我が国のアナクロさんが期待するようなことは、あまり出てきません。
「息子がドイツの徴兵制から学んだこと」(祥伝社新書 780円+税)
ドイツ人男性と結婚してドイツで息子を育てた日本人女性の、息子さんを現在のドイツ連邦軍へ兵役に行かせた時の体験記です。
日本ではあいもかわらず「ナチスのドイツ国防軍(Wehrmacht/ヴェーア・マハト)」の本なら山のようにありますが(「趣味」のコーナーにね)、現在の「ドイツ連邦軍(Bundeswehr/ブンデス・ヴェーア)」に関するものは、非常に少ないです。
その意味でも本書は貴重なレポート。息子さんが受けた訓練内容や鍛えられて立派になっていく様子が興味深いです。
著者自身は、戦後日本の平和ボケと軟弱ぶり、他国任せの安全保障政策を相当嘆いてはおられます(他方、日本語ではあまり問題にならないでしょうが、本来は結構デリケートな問題である現代ドイツ軍の呼称を「国防軍」と連発している)。
ただし、だからといって、「(特高警察がいたような)明治憲法時代が懐かしい」「(西)ドイツは憲法を何回も改正しているのに日本は…」などと安直に懐古趣味に走る「官僚統制」大好きな方々が期待するような事実は(当たり前ですが)ほとんどでてきません。
ドイツでは、ナチスやヒトラーに対する反発はありますが、軍部が暴走したわけではないので、「軍アレルギー」はなく、とはいえ、大戦時の非人道的行為に対する反省から、現在では徴兵があった時でも「良心的兵役拒否」が認められ、「抗命権」も認められています(日本には徴兵制はありませんが、抗命権もありません)。この本では出てきませんが、兵士の人権を守るための公の組織もあるそうです(ドイツ国会の「軍事オンブズマン制度」など。自衛隊にも「防衛監察本部」がありますが、どちらかというと、汚職や情報漏洩などの不祥事防止が主目的のようです)。
つまり、兵士は市民・国民が制服を着て職務に付いているだけであって「隔離された集団」ではないからです。
我が国の某政党やらの憲法草案のように「集団で危険な仕事する兵隊の人権は、はじめっから制限を憲法に明記」して、社会から隔離しようか、などという考え(時代に逆行する、およそ正常な頭脳とは思えない考えですな)とは対極にあります。
実のところ、「あくまで同じ国民の組織」という考えは現在の自衛隊もそうなのですが、「国防軍昇格」の暁には「一般人と軍人は違う」ようにしたいというアホ、もといアナクロ勢力の考えは「官尊民卑」思考の変形であって、完全な時代錯誤。これでは国防軍誕生と同時に納税者から「反軍・反政府運動」が芽生えることでしょう。また、「人権まで制限された危険な職業」である「国防軍人」を志願するのは結果的に「他に仕事のない人」ばかりになって兵士の質は極端に低下。社会の吹き溜まりと化す。治安は悪くなるばっかりですね。
また、現代のドイツ軍兵士は「私は、ドイツ連邦共和国に誠実に務め、ドイツ国民の自由と権利のために勇敢に国を防衛します」といった意味の宣誓をするそうです。さらに、かつての首相ヘルムート・シュミット氏は兵士らに対し、式典で「この国はあなたたちの信頼を悪用しません」と述べたとか。
著者は、日本も早く、若者が同様の宣誓をするような自立した国家になるべきだとお考えのようです。
といっても、日本の政治家や官僚は「国民の自由と権利」自体が大嫌い(好きなのは、旧ソ連や中共のような国家統制。資本主義と言ってもお好きなのは「国家資本主義」。自分らは現憲法が保障する「自由」を目一杯満喫しているが、実は「自由主義」が本音では大嫌い。赤い旗の代わりに菊マークの旗を振ってるだけ。これでアメリカとは未だに「反共同盟」のつもりでいる。バカなの?)なので、とてもEUの主要国でもあるドイツのようにはいかないでしょう。
(「新日本国防軍」がなし崩し的にできたら、たぶん宣誓文の内容の意味は大体こうなる・・・「私は国のためにすべてを捧げます」。「国」とは国家国民でなくて「政府」のこと。「国民のために」の文言は絶対に入らず、ただ兵士に犠牲だけを求めることでしょう。要するに「兵隊は死ね」ってこと。納税者や国民は置いてけぼり。「国防」より「治安」重視の、存在意義が不明の組織となる。ま、今の中共の「人民解放軍」みたいになっちゃうかな)
日本では、政党名に「自由」の語をつけていても、憲法改正草案で「個人の尊重」も「国民の自由」の語も完全に削って「国家が兵士の信頼を悪用しない」どころか「憲法」に「兵士(や公務員)の人権は制限する」とわざわざ明記したがる連中。現行憲法も尊重しないと公言するのだから恐れ入ります(こう指摘すると「いや東洋の日本と欧米は価値観が違うから」と屁理屈を言い出す。どう違うかは不明ですが。
そもそも、「成文憲法」や「民族国家」の考え方自体が西洋発祥。近代民族国家の誕生は、日本の一部政治家が嫌いな「自由・平等・博愛」がスローガンの「フランス革命」による。これではじめて、国家による「国民の徴兵」が可能となった。
また、ナポレオンの一番の自慢も「ナポレオン法典」を整備したこと。フランス革命以前では、民族より宗教や階級の違いの方が重要。日本人の場合なら明治以前は「日本国」よりも各藩の家中の主従関係や地域村落の共同体が最重要。江戸時代にもどりたいのかね?)。ドイツとは政治状況が全く違います。まして改正の回数など関係ありません。
(そもそも、改憲の方向性がドイツは「人権の拡大」であって、日本の全体主義的復古型“秩序”至上主義の「草案」を作る連中とは全く逆。“秩序を乱す”って暴動みたいなことしか連想しない人もいるでしょうが、強権国家主義者の考えは、政府や役人の意に反することは全て“秩序を乱す行為”。例えば政府のトンチンカンな経済政策を批判しただけでも“経済秩序を混乱させた”→“国家に害を与えた”で逮捕、とこうなるわけ。大陸中国がそうでしょ。“公共の福祉”の概念とは全く違います!)
現在の日本の周辺国は、もはや戦後ではなく「戦前の日本」の背中を追いかけているような状況なので、対抗上、強権国家を作って、自分が支配者になりたい(目的はこれ。彼らの“敵”は外国ではなく同胞のはずの日本国民)と思う勢力があるのでしょうが、まさに「反動」ですな。これじゃ暴力団同士の抗争と同レベル。アナクロ懐古趣味で解決することなどないでしょう。まして、「アナクロ」が戦中(の苦労を知っている)派でなく、逆に戦後生まれのそれもオボッチャマというのでは話にならない。まず、自分が「兵役体験」でもすれば? と思います。ワガママな上に、健康状態が不安で全く「使えない」かもしれませんがね。
ちなみに、自衛隊員の入隊の宣誓では「ことに当たっては自らの危険を顧みず」という箇所ばかり強調して紹介されますが、その前段にちゃんと「日本国憲法や法令を遵守し」とあります。
(日本国が「交戦権を放棄」しているとは、要するに、侵略はもちろん、「砲艦外交」みたいなことはしませんよ、という意味。自衛のための国土防衛や国際貢献はもちろん合憲です、と思います)
自分の好きなとこだけ切り取ってわめきたてるのはマスコミよりも、危険な政治家や官僚の常套手段。無限の拡大解釈が可能な「特定秘密保護法案」の運用も、国民が十分に監視していないと、著者が心配するように役人や「自衛隊内の不祥事隠し」もひどくなってしまうのではないかと思います。
こういう現代日本の社会状況を踏まえた上で読めば、なかなか興味深い本です。
参考記事 :
・新刊紹介 : 「臨時軍事費特別会計」(2013.11/17)
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
<Book Review : ブック・レビュー>
図解!! 生き残るためのやりかた大百科―緊急時に役にたつ(かもしれない)175の豆知識。
「図解 !! 生き残るための やりかた大百科」
―緊急時に役に立つ(かもしれない)175の豆知識。―
パイインターナショナル 刊 1200円+税
まあ、タイトル通りなのですが、この本の特徴として、イラストが多くてわかりやすいのと、緊急時の対処法とか救急法だけでなく、日常生活での、住まいの安全対策とか、街を歩いている時の危険予測や防犯、情報セキュリティーの心得とか、迷子を見つけたときは不用意に子どもに触らないようにするとか、普段のアウトドアでも山や海、自動車トラブルの対処法とか、日常のトレーニング法とか、(竜巻とか津波対策はちょっとものたりないが)非常に広範な状況が一冊にまとまっているのが便利です。
また、シリーズ本で、先に出た下の本がありますが、原本が外国なので、どうも身近で実用的なのは上の「生き残り」の方のような気がするのが現代社会です。気をつけましょう。
図解!! やりかた大百科 -役にたつ(かもしれない)438の豆知識。-
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
<Book Review : ブック・レビュー>
讃岐の生んだウルトラ・スーパー・スターの弘法大師・空海ですが、“空海関連”の書籍は汗牛充棟、数知れずあれど、本人の著作をわかりやすく解説したものは、実はそれほど多くありません(もちろん専門書は別です)。
本人の生涯が波瀾万丈なので、足跡を追うだけで十分興味深いですし、そもそも密教というのは、お釈迦様の教えが明らかにされ、書物などで表現可能な顕教に対するものなのだから、その著作が難解なのは無理もないこと(理屈で考えるのではない、体感するのだ!という感じ。スター・ウォーズのジェダイみたい)。
とはいえ、やはり、一応地元出身者として、何か入門書ぐらいは読んでおきたいということで探しておりましたら、値段も手頃なものがありましたのでご紹介です。
いずれも加藤精一大正大学名誉教授の訳・編による「角川ソフィア文庫・ビギナーズ日本の思想」から出ている本で、
書名・価格は、
・「空海 三教指帰」(くうかい さんごうしいき) 667円+税
・「空海 秘蔵宝鑰」(くうかい ひぞうほうやく) 819円+税
・「空海 般若心経秘鍵」(くうかい はんにゃしんぎょうひけん) 629円+税
…の3冊です。
現代語訳・解説と読み下し文が掲載され、ありがたいことに全文ルビ(読みがな)付きです。
※角川ソフィア文庫シリーズ↓。
(会社の住所は変わってます)
「三教指帰」は、空海が若いころ(24歳)に書いた処女作。儒教・道教・仏教を比較して、仏教が一番優れていると確信したことを戯曲形式で書いた書。三幕一場の日本最初の戯曲と言われているそうです。
「秘蔵宝鑰」は空海57歳ごろの書で、自らの思想体系をまとめたもの。序文にある「生れ生れ生れ生れて生(しょう)の始めに暗く、死に死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」は(映画のパンフレットでも紹介されていて)非常に有名です。
「般若心経秘鍵」は、一冊にまとまった「聖書」を持たない(大乗)仏教のエッセンスが集約されているといわれる「般若心経」を、密教の立場から空海が解説したもの(一般的な解釈と違う部分もあるので、他の解説書も併せて読んだ方がよいと、本の紹介ではよく言われています)。空海入定間近い61歳の書。冒頭近くの「それ仏法ははるかにあらず、心中にして即ち近し。(仏陀の悟りは各自の心の中にある)」に本書の精神が要約されているのかも知れません。
そういうわけで、お盆も近いですし、空海ファンは、夏休みにまとめて読んでおくのもいいかもしれません。
関連記事 : BR:「三教指帰」(さんごうしいき) (2011.1/25)
※併せて読みたい(?) 本も。
*以下にも参加しています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント